おおた あきよし 公式サイト
おおたあきよし 街頭演説会ポスター

ごあいさつ

たしかな経験と行動力で、
江東区の未来を担います。

地元生まれ、地元育ち。民間企業に勤めたのち、とあるきっかけから議員秘書となり、地域課題の解決に取り組んできました。現場で培った経験と行動力で、江東区をもっといいまちにしたい。
このまちの未来を担う世代として、
おおたあきよしは全力で働いてまいります。

江東区で立つ太田晃禎

ふるさと・江東区への思い

つながって、支えあうまちへ。

江東区は、住環境が整った魅力的なまちです。区内各所にある緑豊かな公園、長年の治水対策によって生まれた水辺の空間、そして都営バスをはじめとする充実した交通インフラ。特にハード面においてそれは顕著であると思います。

そんな江東区にとってこれからますます大切なのはソフト面、すなわち「人」から生まれる魅力です。昔から暮らす人々と、新しく住む人々。地域がつながって支えあうことで、子どもからお年寄りまでだれもが安全・安心に暮らせる、もっと魅力的なまちをつくりたい。

真っ直ぐな思いで、進んでまいります。

商店街で活動する太田晃禎

政治への信頼を取り戻す。

江東区では令和元年(2019年)以来、区民からの信頼を損なう問題が相次ぎました。

当時、私はほかの地域で生活していましたが、自分のふるさとが良くないニュースで取り上げられ、その度に世間から好奇の目にさらされることに、憤り、悔しさ、一言では言い表せない感情を覚えました。

そして令和5年(2023年)4月の区長選挙・区議会議員選挙における一連の公職選挙法違反事件が起こってからは、「いつか江東区に戻って、自分が政治を変えるんだ」との思いを胸に働いてまいりました。

だれよりも区民目線で働き、江東区の政治への信頼を取り戻す。

私を動かすのは、その意志と情熱です。

私の原点

たくさんの人の役に立ちたい。

小さな印刷会社で働いていた25歳の頃、新型コロナウイルスが流行しました。

緊急事態宣言が発令される中、多くの方と同じように私もテレワークをしましたが、ほとんどできることはありませんでした。お客様に喜んでいただけることを仕事のやりがいとしていた私は、自分の無力さを感じました。

そして、ふと付けたテレビに映っていたのは、めまぐるしく変わる状況の中で、最前線でたたかう医療従事者の皆さんや、保健所職員の皆さんでした。

「私も、たくさんの人の役に立ちたい」

そう思うと同時に、自分に何ができるのかを考えたとき、以前から関心のあった政治の重要性を認識し、志すことを決めました。

当時の太田晃禎
当時の私 ↑

政治の道へ

いわゆるサラリーマン家庭出身の私は、政治とは無縁の環境で育ちました。二世三世といった世襲でもなければ、親戚に政治家は一人もいません。

志したは良いものの、どうしたら良いかわからない。そんな状態でしたが、印刷会社に勤めていたため、現場を知ることが何よりも大切であるということだけはわかっていました。

そこで、実際に政治家のもとで働きながら勉強したいと思い、議員秘書に転身する決意をしました。

とはいえ、コロナ禍で苦しむ会社や仲間をよそ目に辞めるわけにはいきませんので、1年以上の時間をかけて業績回復に努め、お世話になった分の恩を返してから政治の道へ進みました。

店舗前で活動する太田晃禎

プロフィール

太田晃禎プロフィール写真

太田 晃禎
(おおた あきよし)

平成7年(1995年)
1月17日生まれ・31歳

実家は江東区南砂

○学 歴○

江東区立つばめ幼稚園卒園
江東区立砂町小学校卒業
江東区立第二南砂中学校卒業
東京都立戸山高等学校卒業
駒澤大学中退

○職 歴○

アルバイト(飲食業、警備業、イベント業など)
印刷会社営業職(新規顧客の開拓に尽力)
衆議院議員文部科学大臣松本洋平公設秘書
(地元秘書として、市民の皆様から寄せられるご相談やご要望を、解決・改善へつなげる)

○座右の銘○

Where there is a will, there is a way.
〜意志あるところに道はある〜
(のちに母校となる高校を初めて訪れたとき、案内してくださった先生にいただいた、エイブラハム・リンカーンの言葉です)

○所属団体○

北砂四・七丁目町会
トリシン子ども食堂
公益社団法人日本青年会議所
 関東地区協議会関東地区大会運営委員会
 関東地区東京ブロック協議会LOM支援活性化委員会
 (一般社団法人国分寺青年会議所より出向)

平和の担い手の一人として

私の父方の祖父は、1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」で、実の母と兄を亡くしました。祖父は疎開中のため無事でした。

幼い頃から一緒に暮らしていたので、なんとか生き延びた祖父の父(曾祖父)の話や、二人の遺体が見つかったときの話など、度々祖父から聞いていました。また、毎年3月はお墓参りのあとに両国の東京都慰霊堂を参拝しました。

そんな祖父が、あるときふと呟きました。

戦争なんてするもんじゃない。

このたった一言に、どんな言葉よりも大きな説得力がありました。

戦争の惨禍から学び、後世に伝えていくことは、今の時代を生きる私に与えられた役割だと考えています。そして日本が、私たちの大切な家族が二度と戦争に巻き込まれないように努めることは、政治を志す者の使命です。

平和展示を見る太田晃禎
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